29歳フリーターHSS型HSPの私と上手く生きていこうっていうblog

HSS型HSPという刺激追求型繊細さんの気質の人は、どうすれば日々生きやすい世界になるかを、私の体験から考え、お伝えしていきます。

ブログ始めました(自己紹介)

今フリーター、就活中、人生迷走中の29歳女性です。

私は人間関係で悩むことが多く、生きづらさをずっと感じていました。

小中高は田舎で過ごし、短大生活を県外で過ごしました。

その時は寮生活。この寮生活もまた苦しんだんですが、、、それはまた後々にお話しします。

短大の2年になる春休みに帰省し、急にお腹が激痛に襲われました。私は卵巣の病気でした。

次の日入院し、その日に手術、2週間ほど入院しました。

死を覚悟した時期でした。手術後は全く動くことができなくて、しんどかった。

でも家族の支えがあって無事退院しました。

この経験があって、家族が近くにいないと一人で生きていくことに不安を感じ、就活を地元でする決断をしました。

それまでは食に関わる仕事がしたかったので食品メーカーの企業へ就活していました。

創作することは好きで、食品開発に関わりたいなって。

一度グループ面接に参加したことがあるのですが、何をしていいのかわからず圧倒されてしまいました。都会で希望の企業に就職する大変さを痛感しました。

そんな理由もあり、都会の就活に挫折していたところでした。

で、地元で探すとなると妥協しかありません。

ない中から選ぶって本当につらい。投票したい人がいないという選挙みたいです。

今思えば目的もなく地元で探すって無謀でした。

地元でやりたいことがあって生活するために働くということではないから。

地元で何がしたいかも決まってなくて、いい就職先というと大体が農協か公務員しかないんですよね。

そんな時にスポーツ枠の地方公務員の事務採用募集を教えてもらい、受けたところ内定されました。

スポーツ枠というのは全国大会優勝経験がある人のみ応募できる枠で、私は高校時代に部活でその経験があったので応募できて採用されてしまったんですね。

公務員はどんな部署で、どんな仕事をするのかもわからないので部署ガチャです。

いろんな部署に行ったけど結局縦社会、忖度組織に嫌気がさして辞めました。

その後はベンチャー企業の求人広告会社に入社しました。本社は東京で、完全テレワーク営業の仕事です。

スタートしたてなので社員は社長含めて4、5名。

初めは快適でした。出社しなくていいってこんなにストレスがないんだ!って。

仕事はテレアポからオンライン営業をしましたが、これがなかなか結果に繋がらないんです。こんなにも私はダメなのかってしんどくなっていました。

今思うと営業の仕方をオンラインで学ぶというが私には難しかったです。また、先輩もいなくて、上司は社長です。

またおかしいなと思うところも多かったです。

例えば私の前に入社した2名の若手社員が精神異常を訴えて退職、休職しました。

あれおかしいと思わず続けることを選んでしまった。

自分は精神異常じゃないと思いたかったし、社長といい関係を作っている、頑張れば成果が出る、それをいつか認めて欲しいと思ってしまったんですね。

最後の方は社長が仕事を他の社員に押し付けて逃げていました。

結局会社の借金が大きくなり、事業縮小のため私は退職させられました。

しかし、社長は退職ではないと言い張るんですよね、というのも社長の恩師の会社に引き取ってもらえるよう連絡しておいたからどう?って言われて、考えさせて欲しいって言ってんのにもう行く話が進んでたんですよね。

そしたら本社の東北に研修行かなきゃいけなくなって、それも2週間って話だったのに結局1ヶ月は縛られてしまいました。

最後はもう私も知らない土地でやりたくもない仕事させられて、ミスも繰り返してしまうしで、精神崩壊してしまって辞めました。

私はニートになりました。

テレワークだった時に上京していまして、完全に一人の環境になりました。

このときはなんか気持ちが進まなかった。すごく傷つきました。辞めても手続きとか給与の関係とか前の会社の社長、研修していた会社の社長とのやりとりに疲れました。穏便に済ませようとLINEの文章にものすごく配慮しました。給料支払ってくれないってなるのが一番不安だったから。

五日間くらいは家にこもってご飯を作って、食べるのを繰り返してだらだら過ごしました。

まず国保の手続きのために市役所に行って、いろいろ教えてもらって、ハローワークに行き、失業保険受給しながら就活を始めました。

やってみたいことから始めてみようと思いました。

料理が好きで、調理のバイトに応募し、2回面接して採用されました。離職して1ヶ月半くらいたった頃です。

何もしてない自分がしんどくて、やっと働きに行ける!ってワクワクしました。

しかし、調理の仕事って簡単ではなかったです。ずっと動いていなければいけないんですね。麺類と一品料理を提供するのでやることが多いんですね。ぼーっとできない。一息つけない。トイレも自由にいけない。厨房でみんなで監視しあってる感じです。事務しかやったことない身にしたら過酷でした。夜11時前に家に帰ってくると寝るのは深夜2、3時の生活は生活リズムが狂ってしまい、過食が止まりませんでした。今その時の蓄積が体重に現れて3キロ太ってしまいました。

手も使いすぎたりで筋を痛めました。今も通院中です。精神的にも体力的にも限界で1ヶ月くらいで辞めました。

そのバイトに行っているときに他にいい調理バイトないかなって探して採用されてたので辞めても次がありました。

今もそこのレストランで働いています。前のバイトでは週5で入ってて週に2、3日です。だから続けられていると思います。というのもまだ失業保険をもらえているのですが、そろそろなくなりますのでちゃんと月の収入を確保する仕事をしないとと思っています。

今の職場でずっと働きたいとは思えないので時間の問題かなって思います。

というのもシェフ以外女性で、独特のルールがあったり怖すぎるので。

ですがたまに褒められると嬉しくなります。スピードはやくなったねとか、綺麗に盛り付けてるねとか。そういうのをちょくちょく挟んで来られるので辞めさせられない環境になるのでしょうか。

思いつくままに書いてきましたが、読みにくかったり意味がわからないところもあるかと思います。またちょくちょく修正していきます。すみません。

やっとここにきてわかったのは今まで自分がなく、ぐらぐらのまま生きていました。

親の言いなりで生きてました。

生きてる時代も違うのに親は正しいと思って決めつけて誘導してきます。

親が不安になるから、想定外のことを子供にされてしまうと不安で苦しいからというのが大きな理由かと思います。

私にはかなりのお節介で人生遠回りすることになってしまいました。

だからこそ今自分で考えて人生を歩いて行かないといけないと思っています。

今一人の環境で壁にあたっては倒れ、また立ち上がっての繰り返しで試行錯誤をしています。

いろいろ考えてオーストラリアに移住することを決めました。

今はどうすれば移住できるのかを情報収集したり、英語の勉強を地道にしています。

 そんな感じで今日も生きています。

どうぞこれからよろしくお願いします。