29歳フリーターHSS型HSPの私と上手く生きていこうっていうblog

HSS型HSPという刺激追求型繊細さんの気質の人は、どうすれば日々生きやすい世界になるかを、私の体験から考え、お伝えしていきます。

孤独を避けて傷ついたHSP


ある時に母が言っていたのですが、「自分の子供だから同じ考えだろう」と思っていたそうなのです。もちろん育てた親の価値観の影響は受けますが、根本的に一人の人間として好き嫌いや得意不得意は違うはず。これって相手がどう考えるかなんて全く無視していますよね。母は無意識に子供を支配していました。そして「子供も同じ考えだ」と思えたのは、これまで私が親に合わせてきた結果で、私は聞き分けのいい子にならないと愛されないと思っていたからです。意見が食い違うと母の機嫌が悪くなって家の中に居づらくなります。敏感な私は対立した後の「母の不機嫌な空気を感じたくない、でも一人でいるのも寂しいから他の誰かと一緒にいたい、でも家族以外に一緒にいて安心する人がいない」という八方塞がりになっていました。

そうなると家族以外の人間関係を作ろうと思っても、人の機嫌ばかりを見て、嫌われないように、自分の意見は後回しにしてでも一緒にいてくれる人を求めていました。社会人になっていろんな立場の人と関わりますが、自分の意見を言うことに罪悪感を感じるので、ランチに行っても自分の食べたいもので決めてしまっていいのかなと思っていました。

私は年上の人と過ごすことが多くなりました。それは、年上に気を遣うのが当たり前で、一緒にいてもし自分の意見と違ったとしても「年上で相手の方が偉いんだから文句はない」と思えました。ですが、「協調性がなきゃいけない、相手に機嫌良くいてもらわなきゃ嫌われる」と思って相手にずっと合わせっぱなしです。

逆に同い年とか年下に自由気ままにされると自分にそんな振る舞いの経験がないので、相手に勝手に不満になっていました。「私はこんなに我慢しているのにあなただけ自由に好き勝手するのはずるい」と思っていました。自分の中で年功序列が重要で、自分が気を遣っているからそれなりに相手も気を遣ってほしいと求めてもいました。そうなると相手が心を許してくれたとして、普段より自由な言動をとった時、私は腹が立ちます。友人関係や恋人関係、いつも長続きしないのです。初めから自分に合っていない相手だから、いつか相手に合わせるのがしんどくなって関係が長続きしませんでした。

その時はわけがわからず、自己嫌悪の日々でした。無理する関係なのに続くはずはないですよね。相手が良くても私が無理をする関係。パターンがあって、少し話をしただけで自分から「この人おもしろそう」と興味を持って距離を縮めようとするのですが、そもそもあまり相手を知らないまま寂しさを埋めるために一緒にいようとします。「ただ面白い人」と「自分に合う人」という分類がなく、自分が「いいと思った人」という一括りで関係を持とうとしていました。というか自分に自信がないから一緒に時間を過ごしてくれる人を探し、自分のためにお金を払ってくれる人なら尚更存在を肯定されている気分になる。そんな事実で自分を満たしていたのだと思いました。

自分の意見は優先されないという思いから、相手を優先する代わりに自信のない私と一緒にいてもらう。自信がないと、孤独も耐えられません。一人は嫌だから誰か一緒にいてほしくなって、依存していました。

また、目先のことしか考えず、長期的な幸せの方法が分かっていませんでした。

今も依存先を探していますが、孤独を選んでどう生きるか考えています。家族と過ごせているので完全な孤独ではないですが、いつか本当の孤独になるのはわかっているので少しずつ孤独が当たり前のこととして受け入れられる人間になりたいと思っています。

一人で生きられるようになれたらどれだけ楽なんでしょうか。ゆるく世間とつながりながら、一人で生きていくことが最強なんじゃないかと思いました。