29歳フリーターHSS型HSPの私と上手く生きていこうっていうblog

HSS型HSPという刺激追求型繊細さんの気質の人は、どうすれば日々生きやすい世界になるかを、私の体験から考え、お伝えしていきます。

妹の存在が生きづらさの原点になったHSP

母について考えました。

なんでこんなにも母が恋しくなっているのか、妹がいるからかもしれません。

私の妹は3つ年下で、物心ついた時には妹がいました。それまでは親からの愛を独り占めしていたのは事実ですし、生育とか発達的に妹よりもなにかしらの恩恵を受けている可能性もあります。しかし、記憶には一人でいた期間はほぼありません。母は必然的に末っ子の世話をすることになるので、小さい頃は父と過ごしたことも多かったですね。その時は父が好きでしたが、今は他人のような関係となりました。(私が極度に拒否している状態で、そんな私の態度を見て、私に対し当たり障りのない接し方となっています。)なので父に甘えるなんてもう一生できないですし、話すらできません。となると妹につきっきりだった母に、今度は私が一番近くで甘える番なのではないかと思いました。

思い出せばなにかしら妹よりも母の近くに居たいという思いが強く、妹への敵対心を持っていました。

食事の座席位置では、母の隣に座るのは私だと強引に座っていました。車の席も運転する母の後。いつもくっついていたからか買い物に行った時は「そんなにくっついてこんといて」「金魚の糞やな」と本心ではない感じで言われてズキっと少し傷ついていました。

しかし、幼稚園、小学生と年を重ねるにつれ、母は「姉」「妹」と区別するようになります。

「お姉ちゃんなんだから妹に譲ったげなさい」「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」「お姉ちゃんなんだから、、、」この言葉を聞くたび心がズキズキと痛みました。私は母が好きなのに、好きなのに否定され、母は妹のことをかばうような状況になるのです。これは「どんな状況であれ年上は年下に譲ってあげるもの」というルールに沿ったもので年上の気持ちを完全無視されています。こんな感じで縦社会だと状況に応じた対応や対策をしようとせず、理不尽を我慢させられるようになります。縦社会は思考停止状態です。そんな縦社会の親に育てられた私は理解できないルールとか、不平等や理不尽なことには過敏に反応し、拒絶するようになります。もちろん縦社会の母も同じように親から理不尽を我慢させられています。でも「それを問題化するのがおかしい」「それが当たり前」と受け入れてると感じます。昔は理不尽を受け入れたとしてもそれなりにメリットがあったと言うことですよね。

でも私は誠実に正直に生きてきました。嘘をつけないんです笑。そして妹ばかりが可愛がられる感じがするし、妹の方が顔が整っている。妹の方が賢く、親に愛されるのが上手かった。姉にはもうメリットなしです。買い物でも服とか欲しいものを妹は買ってもらえてる。私は母と趣味が合わないから良いと思った服でも買ってもらえない。「どうして妹はしんどい思いをしなくていいのだろう、なんで私だけがしんどいんだろう」と思いました。

小学校高学年くらいの時、一人お風呂に入っていると母と妹がテレビを見て笑っているのを聞いて、「やっぱり私は一人なんだ」と泣いていました。年越しの時も「イェーイ!おめでとう!」と言い合ってハイタッチし合っていた母と妹。二人は私にはしてこなかった。私はそんな二人を無表情で冷めた目で見てたんだと思います。そんな態度を取ってしまってるんですね。問題がなければ私もその中に入ろうとするはず。そしておめでとうと言い合っていたはず。だけど受け入れてもらえる自信がなくて、ひとり「あはは・・・」って感じになって。そんな経験を家の中でしてきて、母は妹との方が馬が合っているし私は嫌われてもおかしくないし、好かれないという感覚を持っていました。だから私だけよく拗ねてたし、怒ってたし。

学校でも友達同士で家で起こるシチュエーションはよくありました。なんか自分だけハブられてる感じがするとか、みんなと同じように扱われてないとか。家で傷ついたことに怖さを感じて、自然に振る舞えず、気持ちを出せずに遠慮する私が変だったからだと思います。今思うと自分でも昔の自分が気持ち悪いし、嫌いだし、よくこんな私と一緒にいてくれる友達がいたなと言う感じです。

「自分は好かれないんだ」という認識をした時から自分が素直でいられなくなりました。喜びたい時に喜べない、好きなことを好きと言えない。家の中ではいつも母と妹の意見が合うので私の意見を否定されて、馬鹿にされて、笑われて、傷つく。一番身近な人に自分を表現しても、受け入れてもらえない。自分の辛い時に辛いと言えない、だから察してほしいと思うけど、いくら親でも私のことをそこまで見てくれるはずもなく、分かってもらえないことにも傷つく。

結果、自分はこう思うという自信を持てなくなり、人に自分の意見を伝えることもできなくなりました。だから正解のないことでも正解を求めるし、マニュアルがほしいし、自分が傷つかないようにいろんな危険性を考えるようになって決められなくなって優柔不断になりました。この状態が学生時代に染み付いたので就職のときも自分で決められなかったですね。そして社会に出て人に流されまくって傷ついて疲れてしまいました。

今は疲れた自分を労ること、自分の本心や感覚に耳を傾けるようにしています。まだ直感はまだわかってないですが、もう親にOKをもらう必要もないんだと思うと気が楽になりました。でも自信はないので本当に大丈夫なんだろうかと不安なことばかりです。これから生きていれば不安はちょっとずつなくなると信じています。おばあさんになったら怖いものがなくなるって聞きます。もしおばあさんの感覚が今あればもっと生きやすくなるのになと思ったり^^いろんな考え、価値観に触れて生きやすくなるヒントを得続けていこうと思います。