29歳フリーターHSS型HSPの私と上手く生きていこうっていうblog

HSS型HSPという刺激追求型繊細さんの気質の人は、どうすれば日々生きやすい世界になるかを、私の体験から考え、お伝えしていきます。

母といい関係になれる気がしてきた

昨日の残ったパンプキンラテを再度楽しんでいます笑

 

以前「一年前までは嫌だったのに、今は母が恋しく、電話や相談したくなる」というお話をしましたが、母も私も成長しているということではないかと思えてきました。今まで母が嫌いだった理由は、干渉的で子供にも同じ考えや好きなものを強要してくるし、私のアイデンティティを否定されることが多く、何もわかってもらえないと思ってたからです。だから母に心を開きたいのに開けなかった。否定ばかりで、日本の社会にとって普通に生きるように導いてきました。本音でぶつかっても認めてもらうこともできない、理解なんかもっとしてもらえないので、浅い会話ばかりしてたと思います。深い話になると話したくないこともはなさないといけなくなるし。実際「なんで話せないの?親子だからなんでも聞いてもいいやん」って言われたと思います。まだこの時母は、娘の私を所有物と同じ感覚で接していました。自由を妨害されることが嫌だった私はどうしようもなく、既に爆発している爆弾を自分の中に溜め込むことしかできませんでした。イライラの消化不良でストレスは溜まる一方ですよね。

しかし、私は否定されながらも、少しずつ自分の意志で行動を重ね、決意を固め、実家を離れたことで、「娘で血縁関係でもあるけど、考え方も価値観も違うんだ」ということを口ではなく、行動で示すことができたんではないかと考えています。

私自身も母の生き方を認められるようになりました。「本人がいいと思っているならそれでいいんだ」と。

以前は否定されるから私も母の生き方を否定して自分を守るために必死で、攻撃的になっていましたが、自分を見つけるために多くの情報に触れる中で、母を否定して敵対心を持つことは無くなったと思います。たまに意見されることもありますが、「相手はもう年なんだし」と受け流すことができます。(本人にはもちろん言えませんが笑)

これでやっとフラットな関係になったのかな。生活を支援してくれることはもちろんあり、頭が上がりませんが、精神的にお互いが同じスタートラインに位置することができた感じがしています。

そうすると、今まで抑えていた感情をストレートに表現することができるようになりつつあり、甘えることもできる気がしてきました。以前は、本音を言うと否定され、傷つくので、それを避けるために、本当の自分の意見を押し殺したり、母と関わらないようにしてきました。(だから人に甘えるのが苦手です。)

今母は、私の性格を加味した上でそれなりに話をしてくれています。先ほどコメントをくれた方の言葉で改めて、今私は人が精神的自立に向かうための道を少し歩めてるのではないかと思います。今までずっと迷っていました。

1ヶ月後また実家に帰る計画をしています。母がこっちにきてから一緒に実家に帰ります。ワクワクしている自分がいます。遊ぶ友達もいないので、特に特別に感じてしまうのですが。

母が終われば父の問題も解消できたらいいのにと思うところです。また父について書く予定ですので、よろしくお願いし

ます。