29歳フリーターHSS型HSPの私と上手く生きていこうっていうblog

HSS型HSPという刺激追求型繊細さんの気質の人は、どうすれば日々生きやすい世界になるかを、私の体験から考え、お伝えしていきます。

すねかじりにはなりたくないHSP

私は叔父に対して以前からよく苛立っていました。

私が弁当箱を洗うために流し台に出していたところ、叔父がお弁当箱を洗ってくれるのはよかったのですが、スポンジの金部分を使って適当に洗われたために傷がついてしまい、せっかくのお気に入りだったお弁当箱が傷つきました。それを注意したら祖母は叔父に「この子は難しいから」と私が悪者かのように扱い、叔父は「はいはい」と言って謝りもせず、洗い場から逃げていきました。私はこの時驚きました。祖母は私の味方をしてくれて、「すまんなあ」などと言うのかと思いきや、私を悪者にしたからです。行き場のないモヤモヤが溜まりました。

 

この時からなんか変だと思ってました。この出来事を共感してもらおうと母に言うと、「おばあちゃんはおっちゃんに甘いからな」と言って反応が薄かったのです。娘からすると母には共感してほしかったのに軽くあしらわれてしまい、怒りをぶつけるところもなく、傷つきました。母も同じ体験を何度もしてきたのだと思いました。だから「今更なに?そんなこと?」って言う感じで祖母に「歪んだ愛情だ」と指摘したとしても理解されないようでした。

母はとうの昔からそんなことは気にも止めない精神的にも自立した大人で、私はまだまだ叔父と張り合う精神レベルの、世間的に見たら大人という部類なんだろうなと思いました。

 

それから祖母は叔父のことになると歪んだ愛情を注ぐので、2人と一緒にいるとモヤモヤすることが多くなりました。

でも、なんでこんなにモヤモヤするのかと考えたのですが、今まで祖母に甘えてきたからなんだと思います。私が甘えさせてもらってたんですね。叔父は変わらず親の脛をかじり続けている間に私の性格が確立して、少しずつ成長してきたからこそこのモヤモヤの正体に気づけたのかもしれません。でも、「不平等だ」とか「ひいきだ」とかいうワードが私の中には出てきます。悲しいことに、頭でわかっていても心はまだ子供のままです。

 

叔父の嫌な部分ばかり見えていたのですが、祖母から叔父の話を聞くようになり、家にいる時はいろいろと家の仕事を祖母と分担しているようでした。料理はしないものの、掃除洗濯などはこなしているようだったので、祖母の体を心配していましたが少しホッとしました。なんとか家での共同生活は成り立っているんだなと。生活費は全て祖母の年金が資金となり、まだ収入の管理はできないようです。

 

とまあ祖父が亡くなり、このように親戚の事情について改めて知る事が多く、混乱していました。そして他人のことが気になる自分が情けなくなりました。めんどうごとには関わらず、衣食住が保証されていて、安定した生活を送れているという叔父が羨ましく思えるからだと思います。「できるだけこれからしんどい思いはしたくない、未来が怖い」と言う本音があって「そんなんじゃだめだ、立ち向かわないと生きていけないんだ」と自分を叱るので、他人にも強要してしまっていたと反省しました。今は自分が楽しくいられることを考えていかないといけないですし、働くためにもエネルギーをためていかないと。

 

これからは叔父にはできるだけ関わらない、会わないようにします。昔から叔父は覇気がないし、そばにいると嫌な気持ちになっていました。叔父が発しているマイナスなものを感じてしまうのだと思います。そして叔父は成長の意欲がなく、精神的な大人になろうとしない「永遠の子供」なんだと思うようにすることにしました。子供だからできない事があって当たり前だし、監視、保護される側です。そうしないと生きていけない生物なんだ。だから叔父が子供で居続けることを選んでいる限り、私や母には楽しいことや有利な状況がたくさんあるんだと思い続けます。そして叔父のようには絶対なってはいけないと反面教師にしていきます。