31歳実家ぐらし 自分と上手く生きていこうっていうblog

HSS型HSPという刺激追求型繊細さんの気質の人は、どうすれば日々生きやすい世界になるかを、私の体験から考え、お伝えしていきます。

変えられないことがあっても自分を幸せにするHSP



私の家庭には訳のわからない風習があります。

お正月に親戚が集まって鍋料理を食べることです。

夕方ごろおじいちゃんおばあちゃんの家に車で10分ほどかけて母と妹と一緒に行きます。そして白菜を切ったりしながら鍋の準備をする。鍋の用意ができあがるころ、夜6時ごろに母かおじが父を家まで迎えに行きます。父はとにかくビールを飲みたい人で飲むから一人では来れないのです。来れないならこなくていいのに。おばあちゃんは「お正月やから家族で年に一回は集まらな」という思考しかないのです。「集まったところで何がある?」なんです。父やおじが居たってなんの話もしません。いるだけでこっちがネガティブになります。何年も毎年自分から話をしたところは見たことがない。たまにおばあちゃんは世間話的な感じで「今年は仕事今どこいってるの?」という当たり障りない問いかけをしています。父は二言話ししておばあちゃんが話の種を広げられなかったら二人の会話は終了。その後沈黙が続きます。幼少期はイベントみたいで何も考えてなかったので楽しかった記憶がありますが、歳を重ねるにつれ、親戚が集まった時の違和感を感じ始めました。

しかもビールを注いだりするお酌するという風習も嫌いです。昔はそういうものだと思ってた時は、父に「注いでくれ」と言われて注いだこともありました。そして飲酒したら車は運転できないので私たち家族4人が家に帰る時は、いつもアルコールが飲めない母が運転して帰っていました。お酒を飲んだら人にやってもらうしかなくなるのです。そこまでお酒というのが優先される理由ってなんだろうと思いました。結局、飲料会社がとにかく儲けるためなんでしょうね。

そして鍋が終了したら、女性同士はお茶を淹れてスイーツを食べる。おじいちゃんはお風呂に入り、おじは自分の部屋に、父は奥のリビングでテレビを見ながら眠っています。

父は運んでもらってご飯を食べて、お酒を飲み、寝ているだけ。来なくていいだろと。誘わなくていいだろと。無理が起こっている気がします。父は断ることもしない、行かないといけないものだと思っている。おじいちゃんおばあちゃんも誘わないといけないものだと思っている。もうそろそろこの儀式をなくす時だと思っています。私が帰った時は父はなしでいいのです。おじもいてほしくないけど。

家族ってなんなんでしょうか。無理している関係を続けながら、一緒に過ごすのは本当の家族とは言えません。一緒に過ごしていて、幸せではないから。私たちみんな嘘つき家族です。このままみんな放置するんだと思います。これってどうにもできないんだろうなって思います。ある時父の家族、母の家族で家の立地のことで意見が対立したと聞いています。だから一回壊れかけていて、その壊れたところが完全に修復されていないまま今になっているのかもしれません。子供の私には当時のことは知らないからどうすることもできません。これは私の問題ではない。だからこれから家族の嫌なことで避けるべきものは避けていくしかないですよね。家族になんと言われようとも、自分が幸せな気持ちでいられる環境に居ようと思いました。嫌な気持ちになるなら、他人が「逃げている」と批判してきたっていいんですよね。

家族、親戚と一緒にいることに抵抗ある時もあったのですが、自分の心を守るために拒否する方法も全然OKと思うと、嘘つき家族だけどいい距離感で関わることができる気がしました。